vol.114.上富良野町開拓記念館と三浦綾子文学碑

北海道上富良野町の開拓記念館は、JR上富良野駅から車で5分程北の方向、道道291号線沿いにあります。

上富良野町開拓記念館には、明治時代の入植、大正時代の十勝岳噴火からの復興という、上富良野の開拓、復興に力を注いだ二人の方の功績が残されています。

一人目は、上富良野の開拓の父と言われる、田中常次郎氏。

今から約120年前の明治30年。

三重県から上富良野への開拓団の団長として、富良野の地を切り開きました。

資料には、富良野に到着した開拓団は、記念館の近くの草分(くさわけ)地区にある、一本の楡の木(にれのき)の下で一夜を過ごしたと記されています。

その楡の木は現存していませんが、開拓発祥の地として「憩の楡」の碑が建てられ、上富良野町文化財に指定されています。

また、草分(くさわけ)地区を見渡せる丘にある、「フラワーランドかみふらの」には、「伝承の楡」の名で楡の木と記念碑が建てられ、上富良野の開拓と復興の歴史を後世に伝えています。

もう一人は、吉田貞次郎氏。

1926年、大正15年。

十勝岳の噴火で泥流に覆われた上富良野の復興に尽力した当時の村長です。

資料によると、850ha以上もの田畑が一瞬にして泥流に奪われたそうです。

しかし、村長の吉田貞次郎氏と農地を耕す人々の努力により、6年後に水田がよみがえったと記されています。

記念館の建物は、大正泥流の被害を受けながらも残された、吉田貞次郎氏の住宅を、解体復元されたものだそうです。

記念館の外には、大正泥流の埋もれ木が展示されています。

これは、地中に埋まった、大正泥流で流された樹木が、建設工事の際に発見されたものだそうです。

今でもこのような埋もれ木が現在も地中に多くあるそうです。

また、記念館の敷地の横には、大正泥流を題材にした小説『泥流地帯』の著者、三浦綾子氏が書かれた

記念文学碑が建てられています。

文学碑には、泥流が一瞬のうちに、木々や家、人をのみ込んでいく小説の中の一節が記されていました。

記念館を出て、東の方向を見ると、白い噴煙の上がる十勝岳の姿があります。

感慨深い気持ちで、しばし十勝岳を眺めていました。

十勝岳連峰の麓に広がる上富良野の街並み

そして美しい田園風景。

今、目にしている景色が、多くの先人の努力と歴史の積み重ねであることをあらためて感じます。

そして、今目の前に広がるその美しさが、いっそう心に沁み入ります。

今日は、上富良野町開拓記念館と三浦綾子文学碑をご紹介しました。

この開拓記念館の建物は、吉田貞次郎氏の住宅を解体復元されたものです。

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